カトリック浦和教会
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隣人となること(2019年7月号)

教皇フランシスコ



 「隣人となること」とは、神の新しさを、兄弟姉妹の生活の中にもたらすことです。それは、簡単な答えや速攻の解決といった誘惑に対する「解毒剤」として働きます。仲間内から外に出て、「わたしたちの仲間の一人」ではない、しかし神が熱心に探し求めていた人を抱きかかえ、キリスト者として隣人になれるかどうか自問してみましょう。

 聖書の中でよく見かける誘惑はつねに存在します。自分の手を洗う誘惑です。今日の福音箇所の中で群衆が行うことです。それはカインがアベルに対し行ったことであり、ピラトがイエスに行ったことです。彼らは自分の手を洗いました。しかしわたしたちはキリストに倣いたいと思っており、キリストのように手を汚したいのです。キリストは、バルティマイのために道で立ち止まる「道」(ヨハネ14・6参照)です。盲人を助けるために身をかがめる「世の光」(ヨハネ9・5参照)です。主はわたしたち一人ひとりのために手を汚されてきたことを理解しましょう。

 十字架を見上げ、そこから始め、神は罪と死においてわたしの隣人となられたことを思い起こしましょう。神はわたしの隣人となられたのです。すべてはそこから始まります。そして、神の愛から、わたしたちも隣人となり、「新たないのちの運び手」となります。あらゆる人の教師ではなく、聖なるものの専門家でもなく、人を救う愛のあかし人となるのです。

      (第15回シノドスの「閉会ミサ説教」2018年10月28日、より抜粋)



    



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